ビジネス文書の存在意義
弁護士として仕事をしていると、法律の世界のみならず、ビジネスのあらゆる場面において書面が重要なんだなと感じます。
そこで、今回はビジネス文書のメリットについて簡単にまとめてみました。
(「ビジネス文書」って言葉の方が、「ビジネス書面」という言葉よりも耳にするような気がするので、「ビジネス文書」という言葉で統一しようと思います。気のせいかもですが。)
ちなみに、この記事でいう文書とは、文章が形で残されているものを指していると思っていただければと思います。メール等の紙媒体でないものも含めて文書だということですね。
文書にすることのメリット
1 記録化・証拠化
文書にすれば、いわゆるディスコミュニケーションや言った言わないの不毛なやりとりを減らすことができます。
私も口頭での報告で「話が流れてしまうのが困るなあ」と思うときは、メールで報告を行うようにしています。
2 明確化
文書は、口頭で伝えるよりも漏れなく正確に必要な情報を伝えやすいと思います。特に情報量が多い場合は、文書のレイアウトを工夫することで伝達率がアップするように思います。受け手としてもいつでも確認できるので便利。
3 効率化
これは上記の2つと重なるところも大きいかもしれませんね。
形としてしっかり存在することで不要なキャッチボールを無くし、物事を円滑に進めることができるようになります。
口頭とは異なり、相手のタイミングや状況に左右されずに必要なことを伝えられるのは大きいなと感じます。
4 責任の確認
文書の形式や内容から、様々な責任の所在がはっきりとするようになります。これによって、責任の所在が曖昧な領域が狭まり、各々の全うすべき職務が把握しやすくなるでしょう。
私の場合、自分のやるべきことかわからない場合は、明確に依頼するような形で投げてみたり、判断を仰ぐような形で、この特性を利用しています。逆に、文書の体裁を工夫するなどすれば、自分が責任を負うものでなくても、しれっと食い込んでいくこともできる部分が多いなと思います。
という感じで、割と文書のメリットは多い気がします。これを意識できるとビジネスにおける事務的な負担感が減るのではないでしょうか。
ちなみに、具体例は、私の所属する弁護士事務所内でのやりとりをイメージして書きましたが、対外的にも同じようなことがいえるのかなと。
ビジネス文書については、今後も、色々考えたり、勉強していきたいなと思います。
時は金なり
弁護士になってからというもの時間の大切さというものをひしひしと感じるようになりました。
もちろん、以前から、
時間は有限であり、大切にしなければならない
ということは理解しているつもりではあります。
しかし、それは抽象的な感覚でして、実際に自分の持っている時間の価値をはっきりと推し量ることができていなかったのだろうなと思います。
と言いますのも、弁護士になって以来、一定の場合にはタイムチャージ式で報酬を算定させて頂くことがありまして、まさに自分の時間がお金になっているのが目に見えて分かるようになったからです。
1時間あたり数万円の価値ということになると急に実感が沸いてきます。
それだけの価値を生み出す仕事が求められているということなのですが、裏を返せば、相当程度の価値を生み出せるだけの潜在的な可能性が時間にはあるとも考えることができると思います。
「果たして、今の自分の時間の使い方は数万円の価値に繋がるだけのものなのか」
こういう視座を持っておくと、なんとなくやりがちな無駄な行動を減らせるような気がします。
もちろん、常に効率や成果だけを意識するのは窮屈ですし望ましくはないと思います。(最近流行りのビジネスにアートを取り入れようという視点は、まさにこういうところに通ずるのでしょうね。)
ですが、どうしても仕事量が多い弁護士業の性質上、費用対効果は重視していかないといけないと考えております。
巷の弁護士たちの仕事の様子についての話題は、時間のみに着目した両極端なもの(徹夜や終電間際or夕方や定時帰り)が多いような印象を受けます。しかし、質も大事な訳でして。これが抜け落ちると終業時間チキンレースになってしまいます(あ、なんかチキンラーメン食べたくなった)。
そういう意味では、この手の話題で質のことまで考えて話せている人は時間の大切さに気が付いている方なんだろうなと。
自分はある程度の時間を割きつつも、高いパフォーマンスを維持していく、「量と質」を共に相応のレベルで確保していくことを目標にしていきたいなと思います。
言うのは簡単ですが、行動するのは難しい…
自分に厳しくすることで活路を見出せないか試行錯誤してみます。
だらけていたら、注意してやってください。よろしくお願いいたします。
実務修習地の73期たちに会った話
本日、ご縁がありまして私と同じ実務修習地で現在司法修習に勤しんでおられる73期司法修習生のみなさまにお会いしてきました!
今日は、縁あって同じ修習地の73期のみなさまにお会いしてきました。たくさん集まって頂いて本当に嬉しかったです!ありがとうございました!
— mick (@mick_kitten) 2020年1月26日
10名以上に集まって頂き、なんとお礼を申し上げたら良いか…
本当にありがとうございます!
今までも少なくない数の73期の肩にお会いしてお話をさせていただく機会はありましたが、マンツーマンか数人程度でした。
今回大人数でやってみて、人数が増えるとまた違ったテイストになるのだなという新たな気づきを得ました。
それゆえに「もう少し良いやり方があったなあ」などと反省している点もたくさんあります。
さてさて。
集まっていただいた方に向けてはお話したことなのですが、私は下の期の方に向けて直接お話したり、こうしてネットで発信する際には「自分の考えを押し付けない」ということを意識しています。
そういったこともありまして「あくまでひとつの例として見ていただければ幸いです」ということについて少し時間を割いてお伝えしました。
性質上どうしても私の経験談が中心になってしまうので、どれだけ丁寧に下処理をしてもmickの臭みが抜けきらないところです。
そのため、純粋な事実や情報をご提供することは難しいことであったりします。
それを分かっていながら、あえて自分のお話を提供しています。
なぜかと言いますと、自分の経験を何かのお役に立てていただければという思いがあるからです。
決して、自分をすごいと思って欲しいだとか、真似して欲しいだとかという風には思っていません。
むしろ自分を叩き台・踏み台にしてもらえたら嬉しいなと思っています。
言うまでもないことですが、私なんかとは比べ物にならないような成果をあげていたり、素晴らしいチャレンジをしている方はたくさんいらっしゃいます。
しかし、自分なりの取り組みを振り返ったり、発信している方は決して多くはありません。
それならば、やってきたことを形として残しておく人間が1人くらいいても良いかなと思うのです。
そんな訳で、あの手この手で動いてみているのが今の私。
ブログを読んでくださっている皆様にもこういった私のスタンスをご理解いただけると嬉しいなーなんて思ったり。
この話に関連する話題があります。
修習期をどう考えるかというお話。
私としては、期が下であるからといって、後輩として見るということはまずありません。同じ業界でプロとして仕事をしていく仲間・ライバルとして見ています。
自分が下の世代の人たちを圧倒しているとは思えなくて。むしろ学ばせてもらうことがとても多いです。なので、大きな尊敬の念を抱いています。
そうしたことも踏まえると、今回の集まりのようにプロたちに能動的に動いてもらえるというのは本当にすごいことだと思っています。奇跡です。
そして、そんなプロの方たちにもし何か影響を与えられているのだとしたら、これほど素晴らしいことはありません。
73期の方に会うとお礼を言ってくださる方が多いのですが、むしろプロであるみなさまが私のために動いてくださっているのですから、お礼を言わなければならないのは私の方です。
本当にありがとうございます!
たくさんの73期の方と会っていますが、後輩という視点で見ることはまずない。同じプロの世界に身を置く仲間という感じ。
— mick (@mick_kitten) 2020年1月26日
皆さんの視点が勉強になるし、初心を取り戻すきっかけにもなります。
今回の集まりでお話した内容ですが、実務修習地のこと、修習のこと、弁護士業のこと…色々なことについてネットに書けないことも盛り込みつつ説明したつもりです。
限られた時間でしたので、かなりこじんまりとまとまってしまいましたが、何かひとつでもみなさまの琴線に触れたものがあれば良いなと願っています。
ちなみに、割と「修習を頑張りました!」というように見える記事を書いていることが多い私。
ですが、修習中、私の中にあった感情のベースは「修習って大変だなあ」というものでした。そのあたりについても少しばかりお話を致しました。
修習のつらさ。たまたま今日の集まりでお話しました。
— mick (@mick_kitten) 2020年1月26日
大丈夫そうに見えているであろう私でも結構しんどかったです。そんなもんです。
そんな感じで、自分らしさを普段よりも出しつつお話をさせていただきました。
その後の懇親会では、もう少し深掘りしたことやみなさまのお悩みなんかを聞かせてもらったり。なるほどなるほど。
とっても素敵な時間でした。
今後、この縁を広げていけたら良いなと思いますし、この記事を読んでくださった方とも何かしらの形で繋がっていきたいと考えています。
見切り発車で始めたところもあるローブログですが、「人との繋がり」が今後の目標のひとつになりそうです。
初任給をもらって
先日、初任給を頂きました。
(正確には、先月も頂いているのですが2日分でした。1か月分まるっと頂いたのは今回が初めてでして、今回が正式なものという頭で記事を書かせていただきます。)
司法修習のお金関係のあおりでここまで結構大変でしたので、お金の心配がなくなりほっとしているというのが今の1番の気持ちかもしれません。
そうは言っても、私は開始前に多少蓄えを作っていての司法修習でしたのでまだ恵まれている方ではないかと。自力で、司法修習関係で頂けるお金のみですと司法修習中はもちろん、今の時期までがなかなか厳しかったという方もいらっしゃることと思います。
やっぱり生活の基盤を整えるためにお金は大切ですね。
司法修習のお金に関してはこちらの記事を見てみてね。
頂いたお金を何に使っていくかを思案しています。
お金を使ってやりたいなと思っていることは既にいくつかあるのですが(そのうちのいくつかはいつか記事にできるかなと思います)、他にもないかなーと。みなさんどういうことに使うのでしょう?
自分のお金についてのスタンスは、「ある程度残しておいて、残りはガンガン使っていく」っていう感じです。
お金を使って得た経験なり、考えがきっと回りまわってお金になり自分のもとに返ってくると信じています。裏切られたら悲しいけどその時はその時です。
もちろん、節約するのは尊いことですよね。
ただ、自分には向いていなさそうです。使う際はシビアに判断していこうとは思いますが、それ以上に節制をしようとするとストレスをためそうな予感がします。
また、資産を増やすにはお金を稼ぐというのが自分には最もわかりやすくて。たくさんお金を稼いでいる方ってたくさんお金を使ってチャレンジしているイメージがあるので、こっちの方向でいった方が良いかなというのもあります。
そうそう。弁護士会の研修とかで各種保険の案内がどばーっときていますが、正直どれもピンときていないです。
加入にあたっては、誘う方はどうしても甘言を使わざるを得ないと思うのですよね。けれども、私自身に保険等に関してそこまで見る目があるとも思えないので全てをバサっと切り捨ててしまうのもいかがなものかなと。
このあたりもよくよく調べて、自分なりにしっかり考えないとですね。
家族に何をプレゼントしようか考えようっと!これが1番嬉しい時間かもしれないです。
あいさつは大事
「あいさつはしっかりしましょう!」
物心ついた頃から、何度も言われてきたことです。
けれども大人になってからしっかりできている人は少ないですよね。自分も含めて。
逆にいえば、あいさつがしっかりできれば、それだけでプラスの効果をもたらすはず。
ということで、最近では、あいさつを大きな声で、しっかりと、相手を見てするように心がけています。
ただ、これは原則的なもので、時と場合によってあいさつの方法を変えなければいけないのがあいさつの難しいところだと思っています。
例えば、電話をしている方や作業に集中している人に向けてはむしろあいさつをしない(ないしは会釈にとどめる)ことが正解のことがあるでしょう。
結局、あいさつって慣例化したコミュニケーションなので、ただ元気よくすればオールOKとはいかないのかなと。
うーん難しい。これまでの人生で数え切れないくらいあいさつをしてきたのになあ。未だに上手くできない。奥が深いですね。
それから、あいさつは、話の導入部分で使われるものなので、上手くできるとすごく印象が良いですし、間違えると結構な損をすることが多いと感じています。
この頃、最初の挨拶は重要だということを再認識しています。
— mick (@mick_kitten) 2020年1月24日
はじめの挨拶で教養があるかわかってしまうこともある。こわい。
最近すごく引っかかっていたのは、年が明けてからの挨拶。
色々な方が1月の2週目を過ぎても結構ラフに「明けましておめでとうございます」って使っているのですが、松の内までというのが習わしですよね。
ある偉い方ががっつりこれをやっていて、その後に「常識は大事」とおっしゃっていたのですが、どうしても説得力に欠けちゃいます。
そもそも喪中の方もいらっしゃるかもしれないので、どう入るかは慎重になった方が良いのだろうなと。
自分も教養のなさを露呈してしまったり、良くない印象を与えるあいさつをしているかもしれません。
マナーの本とかを読んで勉強しようかなと思っています。